また奈良へ

 去る5月21日の橿原考古学研究所(6月2日・4日のブログ参照)に続き、7月22日(土)奈良県桜井市立図書館で開催された第18回纏向学セミナー「卑弥呼とヤマト王権」に参加してまいりました。内容は寺沢薫氏の講演とNHK奈良放送局記者との対談でした。

 このチラシに描かれた女性、卑弥呼なんだそうですが寺沢氏によればモデルがいるそうです。皆さんお分かりになりますか? 顔をよ~く見てみて下さいね。お答えはこのブログの最後の方で。  (?_?)

 午前中に回っておきたい所があり早朝車で出発、午前7時前には奈良県橿原市の第3代安寧天皇陵に到着、5月に続いて写真を撮って第4代懿徳天皇陵へ。5月には撮れなかったのでしっかりシャッターを切りました。奈良の天皇陵を訪れる度にいつも素朴な疑問が湧いてくるのですが‥‥‥。諸学者はなべて第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの八代の天皇は “ 欠史八代 ” と言って実在しないと解しているにもかかわらず宮内庁は奈良盆地で八代すべての陵墓を比定していますが、皆さんはどう思われますか?誰も宮内庁の比定に異を唱えず諸学者もこの問題を取り上げないのですが奇妙なことだと思われませんか

 第3代安寧天皇陵

 

 

 第4代懿徳天皇陵

 

 次は平成29年以来の唐古・鍵遺跡(田原本町)です。弥生時代~中世の複合遺跡で奈良盆地最初の弥生のムラで、多重環濠集落としても有名です。6年ぶりに訪れてビックリ!?見違えるように綺麗に整備されて史跡公園となり、すぐ近くには道の駅も出来ていました。前に訪れたときは駐車場所に苦労したのですが、今回は道の駅に置かせていただいたので猛暑ながらウキウキ気分で広い遺跡内を見て回りました。汗かきの私は10分もしないうちに汗だくになりましたがその一部をご覧いただきましょう。

 道の駅「レスティ唐古・鍵」

 唐古・鍵遺跡のエリア

 同拡大図

 遺跡西北の遺構展示情報館(公園事務所)前から全景を見通す

 2200年前の大型建物跡

 同表示板

 反対南側から復元楼閣と大型建物跡を望む。

 復元楼閣の元となった絵の描かれた出土土器片

 このあと少し南の同町「唐子・鍵考古学ミュージアム」へ訪れました。ここも6年前に訪れた時の建物から一新され、採光に富んだ歩くのが楽しい建物でした♬

展示室の模型で見ると唐子・鍵遺跡は写真のように幾筋もの水の流れがあったことが分かりました。

 驚いてショックだったのは棺内に掲示されていた全国の弥生時代の遺跡一覧図です。

 古代阿波では、吉野川支流の鮎喰川流域で東西8km、南北4kmの範囲に庄、南庄、鮎喰、名東、矢野、石井城ノ内、井ノ元、清成遺跡など、「矢野遺跡」を中心とする弥生時代の大集落遺跡群が存在しているのです。(奈良県香芝市二上山博物館編『邪馬台国時代の阿波・讃岐・播磨と大和』124頁)こんな広大な遺跡は全国どこを捜しても見つかりません。

なので、この写真のような表示、紹介の仕方には大きな違和感を覚えます。阿波の遺跡表示が分かるように拡大してみました。

 次に訪れたのは天理大学敷地内の同大学附属天理参考館。ここは古墳時代幕開けの「布留遺跡」の跡地に建てられた建物です。弥生時代終末期の “ 庄内式 ” とともに土器編年の基準となった “ 布留式 ” の元になったあの「布留遺跡」です。

 

 

 

 皆さん、よ~くご覧下さい!  阿波由来の土器が陳列されています。

 これは「小型丸底土器」と言ってあの纏向遺跡の「箸墓古墳」の直ぐ近く「ホケノ山古墳」被葬者:阿波の出身者(石野博信氏の新聞コメント:徳島新聞平成19年3月15日朝刊))からも出土している土器で奈良ではそのルーツが分かっていないのですが、阿波がルーツの土器であると考えられます。この土器が最初に発見されたのは徳島県名西郡石井町の「清成遺跡」で昭和44年県立農業試験場の建設に伴って確認された遺跡です。菅原康夫氏によれば「東阿波型土器を設定する重要な構成器種である小型丸底鉢を最初に出土した遺跡である。」とのことです。(『日本の古代遺跡』37徳島:保育社106頁参照)

 この阿波由来の土器がここ天理市の「布留遺跡」からも出土しているということですね。小型丸底土器の現物をご覧になりたい方は徳島県立埋蔵文化財総合センターか徳島市立考古資料館へ行けば常設展示されていますよ♬

 

 そろそろお腹が空いてきました。桜井市立図書館への途中で昼食をとり会場へ向かいました。午後1時半開始の1時間以上前に受付で並んでいたら予定より早く会場へ入れて下さいました。受付6番目、ゆったりとした気持ちで会場へ入り前から2番目の真ん中へ座って開始を待ちました。

 定員270人、開会1時間以上前の様子です。半時間前には満席になりました。地元とは申せ、やはり邪馬台国畿内説の旗手のお一人寺沢薫氏の人気は凄いですね。同氏のお話をお聴きするのは平成27年の東京有楽町朝日ホール、平成28年・令和4年の大阪朝日カルチャーセンター(2回)、令和元年の徳島市立考古資料館に続いて5回目です。

 午後1時半からの同氏の講演、続いてNHK奈良放送局の柳澤記者との対談をお聴きし4時過ぎ天理市のホテルへ向かいましたが、ある思いが “ 強くから確信 ” に変わりました。同氏の説く「ヤマト王権は纏向遺跡で誕生し、その初代女王が卑弥呼である。」との考えには全く賛同出来ないのです。

同氏は今年3月に『卑弥呼とヤマト王権』を出版され、その中で纏向遺跡で誕生したヤマト王権の初代女王が卑弥呼であるというかねてからの説を改めて詳しく説かれていますが、一読した限りでは壮大なる虚妄の説と言わざるを得ません。学生時代から約40年にわたって纏向遺跡を掘り尽くされた関川尚功が令和2年(2020)に出版された『考古学から見た邪馬台国大和説 ~ 畿内ではありえぬ邪馬台国』と読み比べるとその違いがよくお分かりいただけるのではないかと思いますが、私は阿波説の立場から寺沢氏の説を批判し、邪馬台国時代以来、いえもっと古い時代から日本の元つ国が阿波であり邪馬台国はもちろん天皇家祖先の地 “ 古代皇都 ” が阿波であったことを説く書を小著『古代史入門』とはまた違った観点から書いてみたいと考えています。

 

 寺沢薫著『卑弥呼とヤマト王権』(中公選書:中央公論新社)

 関川尚功著『考古学から見た邪馬台国大和説~畿内ではありえぬ邪馬台国』(梓書院)

 小著『古代史入門』~邪馬台国から平城遷都まで~ 阿波から始まる古代の軌跡(Amazon出版)

 皆さん、冒頭のチラシの女性の顔、モデルが誰だかお分かりになりましたか。講演当日の寺沢氏の話によれば山口百恵さんの顔をモデルに専門家に書いていただいたそうです。どうでしょうか、当たった方いらっしゃいます?

 翌日午後には主催講座「阿波古代史講座」があるため23日朝4時半にホテルを出発し7時に無事帰宅致しました。シャワーを浴びてから朝食をとって一服、受講者の方々のお顔を思い浮かべながら会場の考古資料館へ向かいました。私の古代史の勉強は本格的に始めて10年目、まだまだこれからです。齢74歳、勉強をもう10年早く始めていれば‥‥‥ 。先達の「大丈夫!10年長生きすればいいんだよ♪」という声がまた聞こえてきそうです(苦笑)。さあ、トレーニングにも励んで健康でいなければ!  以上