5年ぶりに奈良へ(1)橿原考古学研究所と附属博物館へ

5月21日(日)奈良県立橿原考古学研究所で開催された研究講座第2回「大和と沖ノ島の祭祀を語る」に参加して学芸員と学者のお話をお伺いし、附属博物館にも足を運んで春季特別展「神宿る島 宗像・沖ノ島と大和」を鑑賞してまいりました。翌日22日(月)には大和三山の一つ畝傍山(199m)に登り、橿原神宮、神武天皇陵等を回ってから桜井市箸中の箸墓古墳とホケノ山古墳を訪れました。
少し長くなるので2回に分けて投稿します。

特別展示案内のチラシ

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館

奈良県立橿原考古学研究所

21日(日)10時過ぎ博物館でじっくり展示物を鑑賞、近くに適当なお店がなかったのでコンビニでオニギリとお茶を購入、開場12時より早めにと車中で頬張ってから11時半に研究所玄関前に行くと既に20人余りの人が並んでいました。すぐ前の方に話しかけると大阪の方で1時間もかからずに来られるのでよく来るのだとか。羨ましい!古代史談義をしていると「遺跡・古墳等を見ると奈良よりも裏日本、日本海側の方の歴史が古いですよ。」と言われる。阿波徳島から来たと言えば、「友人が若杉山遺跡まで訪ねて行きましたよ!」と言われるので、「卑弥呼の時代の全国で唯一の辰砂採掘遺跡です。だから邪馬台国は阿波だと考えているんです。」と返せば、首をかしげながらも「奈良ではないですよね。」とおっしゃいます。

 

頷き合っているうちに開場時刻となって中へ入りました。定員250人の席はドンドン埋まって午後1時の開会時刻を過ぎてしばらくするとドアの外までパイプ椅子が並び始めました。

下は休憩中の会場風景

講座の内容は、古代の沖ノ島と大和は出土物から見ると深い関係性があるというものでした。

午前に見た博物館の展示物の中には纏向遺跡出土土器等が並んでいましたが、阿波由来の土器「小型丸底土器」も展示されていて阿波説の私は「ああ、やっぱりな。」と独りごちた次第です。この土器はホケノ山古墳からも出土しているんですよ。

上の写真の中央右の焦げ茶色に見えるのが「小型丸底土器」です。下はその拡大です。

下の写真が展示室にあったホケノ山古墳特有の「石囲い木槨※」(棺を保護する木の部屋があり、その回りを石で囲う)構造の模型写真です。

この構造を持つ古墳(墓)は他には阿波の萩原1号・2号墓(鳴門市大麻町萩原)しかなく、その構造から古い順に阿波萩原2号墓 → 萩原1号墓 → 奈良ホケノ山古墳であることが考古学者の間で認められています。つまり奈良最古級の古墳のルーツが阿波にあるということであり、古墳発生の起源は阿波にあったといえるのです。

考古学者の白石太一郎氏も、「前方後円墳の始まりは四国吉野川下流域のすぐ北で出現し‥‥‥。」と述べておられます。(古代史シンポジウム「発見・検証 日本の古代」第3回ここまでわかった日本の古代(平成27年9月27日(日)東京有楽町朝日ホール)

石囲いではなく土で覆った木槨としては、岡山県の楯築(たてつき)墳丘墓、島根県の西谷三号墳がある。)

展示室を回りながら阿波と奈良・沖ノ島との関係性に思いを巡らせておりました。